寝て起きたらうつ病になってた話
目が覚めると、
どうしても、何がなんでも、
仕事に行きたくなかった。
行かねば、起きねば、
そんなことを考えていたら30分ほど経っていた。
これじゃまずい遅刻だ、シャワーは諦めるしかない、せめて髪を整えてお化粧をせねば、
そんなことを考えていたらさらに30分ほど経っていた。
結局、ベッドから動けぬまま体調不良を理由に遅刻すると会社に連絡を入れた。
入社してまた2ヶ月半ほどで、体調不良は3回目だった。
1回目は胃腸炎、2回目は発熱、
3回目にしてわけのわからない“遅刻”をやってのけた。
我ながら最低な人間だと蔑んだ。
大学を卒業して早3年、「体調管理も仕事のうち」というのも深く深く理解しているつもりだった。
そもそも体調を崩すようなことは学生の頃全く経験せず、健康だと胸を張って生きてきた。
健康診断も上出来だった。
本当にこれではまずいと思い、ふと心療内科で見てもらおうと思いつく。
なんとなく、この症状は精神的にきているものだと薄々勘付いていたのもある。
胃腸炎も、発熱も、ストレスが原因なのではとずっとずっと思っていた。
あんなに会社には行きたくなかったのに、
病院の予約を取ってからはすんなりと家を出る準備ができた。
病院に行ってそのまま会社に行くつもりだった。
初めての心療内科はごくごく普通に予約がとれて、ごくごく普通のクリニックで、ごくごく普通に、抗うつ剤が処方された。
結局会社には行けず、家に帰ってスーツ姿のままベッドに潜り込む。
体調が悪化するばかりなので、と会社に連絡し、1日お休みを貰った。
その日はとにかく寝た。1日中眠った。
次の日も休んだ。眠りに眠った。
人間こんなに慣れるものなのかと驚くくらいに眠った。食事も必要なかった。
トイレに行くのも億劫で、膀胱炎になり、血尿が出た。
それくらい何もできなかった。
突然会社を休んだので、客から社用のiPhoneに連絡が入る。最初こそ出れたものの、そのうち吐き気がし、手が震え、とてつもない不安で呼吸ができなくなるようになった。
電話が鳴るたびに過呼吸になって、ひどい頭痛に襲われた。
決してクレームの電話ではないはずなのに、誰に何を怒られるわけでもないのに、電話に出るのが何よりの苦痛だった。
当然電話には出ることができず、落ち着いた時に掛け直そうと試みるも、再び吐き気が襲ってきては呼吸が乱れるので、いつしか携帯を見てないところに隠すように置いた。
携帯ごときで本気で「死ぬ」と思った。
会社を休む日が続き、そのうち朝凄まじい吐き気に襲われ目が覚めるとトイレに駆け込みただただ胃液を吐いた。
胃液はのどを焼くように痛め、声を出すのも苦しくなった。
鏡を見れば目を真っ赤にし、やけにギラギラとした目つきの自分が怖くてさらに吐き気が増した。
胃がぐわんぐわんと動きせっせと胃液を吐かせた。のどもヒリヒリしてひどかったが、唇がただれ、痛くて痛くて仕方なかった。
本当にどうかしちゃったんだ自分、
もうだめだ、
最悪だ、
見損なった、
もうクビだ、
このまま死ぬんだ、
いっそ死んでしまえ、
そんなことも考えるようになり、いよいよひどく落ち込み、いつ鳴るやわからない社用のiPhoneに怯えながらひたすら眠った。
吐き気はおさまるどころかひどくなる一方で、
ある朝、いつものように吐き気で目が覚めよろよろとトイレに駆け込むと、
眠気や疲労でそのまま気絶した。
目が覚めたら吐瀉物まみれで心の底からこのままだと「死ぬ」と思った。
震え、寒気がし、パニックになって涙が止まらなくなった。
しゃっくりが出て、また吐いた。
時計を見たら17時だった。
その夜仕事の夢を見て歯ぎしりをし、
奥歯が欠けた。
意を決して、
無視をすることにした。
無断欠勤をすると心に誓った。
もう限界だった。
死ぬしかない道なら思いっきり踏み外すしかないとふやけた脳みそで考え抜いて導き出した結論だった。
多くの人を裏切ることになるのは、わかっていた。
信頼を失うことも受け入れるしかないと、涙ぐみながら選んだ道だった。
自分にとって、唯一の生きる道だった。
死にたくない。
死ぬと考える自分に対する恐怖は計り知れなかった。
その後、
社用の携帯を無視するぞと意気込んでから、
穏やかな毎日が過ぎた。
心配した友人が外に連れ出してくれたり、
話を聞いてくれたり、
とにかく非常に穏やかだった。
長い春休み中を得た気分である。
吐き気もすっかり良くなった。
電車にもなれるようになった。
結果的に私は多くの信頼を失って、
命が助かった。