仰げば尊し
何度も会っていたのに、いままで男女の関係と呼べることはなかった。まるで、私の恋心を、故意に終わらせようとしているみたいで、少しだけ悲しかった。
何も言えず離れ離れになって、何年も会えなくなっても、「友達」という関係だから、それが自然だった。
私もこの未来を望んでいたのを、ずっと昔から見透かされていたのかもしれない。
好きという気持ちはふわふわと宙に浮いて、空に紛れて見えなくなった。その日の空は、呆れるほど水色で、すこし空気が乾燥していたが、私じゃない誰か(それも沢山)のお別れの涙をまとって、少しだけしっとりしていたような気がする。
ああ、仰いでも仰いでも、この恋心は尊くなかった。
あの頃の胸をぎゅうと縮むような苦しさだけが記憶に残り、その苦しみを懐かしむようになってしまった。
あれから10年が経って、空に吸い込まれるように消えた恋心が、フワッと胸に返されることなんて想像していなかった。
今でこそSNSの類は嫌いで、なかなか見る機会が無かったが、珍しくFacebookおよびメッセンジャーの通知が来たのでアプリを開いたら、高校生のころ仲が良かった先輩からのメッセージが届いていた。
あまりにもビックリして電車に乗っていたのに声が出た。
「おひさしぶりです。いきてますか。」
そんなメッセージを見て荒みきったOLの心にも温もる熱があったのかと思って驚いた。3度くらい驚いた。
舞い上がった私はベラベラと文章を連ね、会いたいと騒いだ。心は16歳だった。
先輩の卒業式で、虚ろな目で空を見上げた時の私じゃ無く、もっと遡り、初めて先輩と出会った前略プロフィールの掲示板でのやりとりしていた時の私が10年の時を経て宿ってしまった。
「仕事で東京きてるから。そういやお前東京やなーって。」
はは。ありがとうFacebook、そして半年に一度は更新していた自分のマメさに感謝した。東京にいることは散々アピールしてきた。田舎の友人に自慢することを怠ることはできない。その性格の悪さが功を成してなのかこうやって運命の再会のチャンスを運んできた。
まんまと約束をこぎつけて、東京駅で待ち合わせる。こういう再会はオーセンティックなバーより、洗練された雑踏、お洒落なダイニングバーが良い。人混みの中で「こっちこっち」と片手をあげる懐かしい人に想いを馳せて、舞に舞い上がった。
実際、あげた彼の手には指輪がされていたことと、子供が2人いること、妻が高校時代の部活の後輩だったことを除けば、とても綺麗な思い出のまま、むしろ大人になって色気がむんとました先輩はとても魅力的で大変戸惑った。
あの頃楽しかったよな、と話す先輩のやり方は本当に昔のまんまで、私は一生女になれないのではないかと思った。
ただひたすらに楽しくて、泣きたくなった。
「また飲もうなー」と手を振った先輩の手にはスマホが握られていたのだが、待ち受け画面は幼い子供の写真だった。
帰りに一人で牛丼屋に寄った。
友達として一生付き合えるなら幸せかもしれないと思っていた10年前の自分へ、すこしツライ面もあるが、確かに幸せだ。先輩と会えたお陰で、牛丼がすごく美味く感じる。
私はまた明日から荒んだOLに戻ります。
店を出ると、その夜の空は曇っていた。星もなく、なんだか肌寒くて少し不気味だった。
仰いでも仰いでも、何も尊くなかった。