夏のしんどい話
どうやら派手に靴擦れをしているようだ。
道玄坂をフラフラと下っていると、身に覚えのある、あの嫌な痛みがじんじんと強くなっていった。
踵の皮膚を薄く薄く削いだその凶器は、2日前にGUで2980円で購入したストラップつきのサンダルだった。
私は思い切りため息をつくことしかできない。
今年で29歳になった。
靴裏が真っ赤に塗られたルブタンを私は履いたことがない。
そして一生履くこともない。
年齢のみを重ねた私は、時給1200円程のパートで、14.5万稼いでは安居酒屋などで金を使い、セザンヌの化粧下地を大事に使い、もやしや豆腐を工夫して食しながら生きていた。
今年で29歳になってしまっていた。
同級生はみな結婚を済ませたようだ。
2~3歳になる子供がいて、UNIQLOの服をお洒落に着こなし平日の昼間から銀座のカフェで駄弁りまくってるらしい。
鼻に付くハッシュタグをズラズラと羅列させるので、インスタグラムを開くと私は蕁麻疹が出そうになる。
トボトボと歩いていると酔ったサラリーマンが「今帰りですか?」みたいな事を喋ってきた。
不愉快そうな顔をして手でシッシッとすると、急に態度を豹変させて暴言のようなものを吐いてきた。
ああ、足が痛い。
酒を飲んでこんなに痛かったら、酔いが覚めた時にはもっと痛いんだろうな。
左足をかばいながら歩く。
いつまで経っても学生の頃と変わらず、渋谷から抜け出せない私は、一生このままだと思う。
ルブタンも、暖かな家庭も、百貨店に並ぶ化粧品も、きっと手に入らない。
29年生きた証が、年齢しかない。
田舎の両親がまた、ご近所さんに私の愚痴を言っている。
道玄坂がただひたすらに長く続いているような感覚だった。
そのうち安い靴を履き続けた代償に、足がもげて転げ落ち、坂を下る頃には血まみれになって死ねたらいいのに。
ようやく、TSUTAYA前の交差点の手前に立ったら、喫煙所の側に割れたジーマの瓶が転がっていた。
ふと気付いたらさっきまで履いていたはずの2980円のGUのサンダルがなくなって、裸足になっていた。
振り返ってみたが、サンダルは見当たらなかった。
足の裏にガラスの破片でも刺さりそうな街を、よく裸足で歩いてきたものだ。
酔っ払って靴を落とすなんて、私の同級生の中でいるんだろうか。
なんだかおかしくなって、フラフラと横断歩道を渡ろうとしたら物凄い速さでタクシーが向かってきた。
えっ、と思う時にはタクシーが目の前で、ああ赤信号でも渡ったのか、29歳にもなって酔っ払って信号無視をする人間が同級生の中にいるんだろうかと考えていたら、タクシーが走り去っていて、もうその姿すら見えなくなっていた。
疲れているのか。なんとなく酔いが覚めたような気持ちでJRの改札まで来ると、持っていたはずの鞄も無かった。携帯もない、財布もない。
アホか。くそ。さっきまで飲んでいた居酒屋か。仕方ない、戻るかと思って道玄坂を引き返すと、今日も救急車が大音量で走っていき、30mほど先で止まった。
酔っ払いだろう。明日は我が身。
気をつけようと眺めていると、25歳くらいだろうか、フリーター風の女が倒れていて頭から血を流していた。
おお、怖い怖いと目を逸らす。
私ももう29歳だしせめて変な死に方はできないよなぁとぼんやり考える。
ルブタンもシャネルも優秀な夫と心優しい我が子も、今は何も手に入らないけど、こんな私でも、誰もが平等に死を与えられている。
今の人生には満足していない。死にたいとは毎日思うけど、今日も生きてるししばらくは生き続けるもんな。
パート辞めて正社員になるか、掛け持ちするかしないと。婚活もしっかりやろう。
なんだかしゃんとして、道玄坂を上った。
その頃、救急隊の人が手際よく女の靴を脱がして、忘れないように救急車に乗せた。
2980円の今年流行りのあのサンダルだった。