運が尽きた女の話

「キャバクラか何かで働いたことある?」と男が喋りかけてきた。
水商売の女のあの独特の甘ったるい仕草は、染み付いたら一生抜けないらしい。
ガールズバーでちょっとね」と答えると男は「やっぱり」と満足そうに相槌をうったので、なんだか少し腹が立った。
出合い系アプリで知り合った男とこうして会うのはもう20回目くらいだろうか。
ろくな男がいないだとかアプリをダウンロードしたのが運の尽きだとか、女友達とガハガハ笑いながら軽口を叩きつつも、いつまで経ってもやめられなかった。

彼氏が欲しいのかすらわからない。
いや、欲しいのだけど、ろくな男がいないのだ。「まあ暇つぶしにね」と言っていたが、いよいよそうとも言えなくなってきた。沼にドップリと足が浸かりきっている。

確実に誰かに求められたいし、自分の価値をこの目で見て感じたい。男性にご飯をご馳走になることで、ああ私は奢ってもらえる女なんだと酔いしれたい。
なんだか泣けてくる。必死にデパートの高い化粧品を買うのも、綺麗な花柄のスカートを選ぶのも、見ず知らずの男と出会い系アプリで出会い食事をするためなのだ。

今日待ち合わせたビアバーはやけに混み合っており、ガヤガヤとうるさくて、あまり好みの店ではなかった。
そもそも男が全く好みじゃなかった。男は女の顔写真を詐欺だの加工だのと罵るが、男の方がよっぽどひどい。
「彼氏いるの」とか「どんな人が好みなの」「何で彼氏作らないの」などと根掘り葉掘り聞かれていよいよめんどくさくなったので、「酔ったから帰るね」と鞄に手をかけたら、「何で?」と聞き返された。うん、酔ったからだってば。
テーブルに3000円置くと男は「そんな、いいよ」と言いつつ結局受け取った。
店を出てタバコに火をつける。沁みるような美味さだった。

冷静に考えてみたら、地元の友達や中学高校の部活、大学のサークル、バイト先、私の身近なコミュニティーで彼氏ができたことはなかった。
いつも付き合うきっかけは出合い系アプリやSNSで、なんとなく会い、見た目が好みだったらセックスした。向こうが私を気に入って、告白してきたらなんとなく付き合った。そして3ヶ月後には別れた。ほどなくして新しい彼氏ができた。その繰り返しである。

はたしてこんな私を愛してくれる人は存在するのだろうか。今までの人生丸ごと認めてくれる人はいるのだろうか。

もう若くはないし、本気で良い男つかまえないと。そう心でつぶやいて、また出合い系アプリを開く。
運が尽き果てて、ズブズブと沼に溶けるように沈んでいく。
今日もイイネが何件かきていたので、手際よく品定めをして4人に定型文を送った。

そのうち返ってきたのは1通のみだつた。

夏に対する苦情

麻布十番祭だと?こんな夏の端くれにアホがよってかかって浴衣着て金銭感覚をバグらせて500円の缶ビールをチビチビチビチビと飲む地域ぐるみのゴキブリホイホイ、訂正、アホ・ホモ・サピエンスホイホイ、まあ俺はどうだって良いんだけどやるなら静かにやってくれという感じである。

7月の終わりにクリーニングに出した安い浴衣は、極力シワにならないように部屋の片隅に適当に放り投げられており、もはや出番を諦めている。平成最後の夏だというのに、ただの布として存在している。

クーラーの効いた部屋でツイッターを見下すようにネチネチと眺めていると浴衣姿の女の動画が流れてきた。スノウである。もはや浴衣姿の女の動画ではない。スノウである。

原型を失ったおそらく女は、楽しそうに人混みではしゃぎ見えない頭のネジを飛ばしまくっていた。俺には見える。スノウのエフェクトよりも濃く、女の頭から吹っ飛んでいくネジが大量に見える。

羨ましいとかではない。単純に頭の悪そうな女が心の底の底から嫌いなのだ。背筋をゾゾゾとさせていると、そのスノウ(動画)の『いいね』の数が500を超えていたので擬音語なんて使ってられるかレベルの衝撃だった。英語力がバッタ以下なので間違っていると思うが「The 背筋が凍るキモさest of 人生」まあこんな感じである。もうすごく気持ち悪い。叶いまちぇんのフォロワーお前ならわかってくれると信じている。

 


俺は頭のネジも多少吹っ飛んでいるが、涙腺も西野カナにバカにさてしまった世代なのですぐに泣く。浴衣姿のスノウがはしゃぐツイートを見ていとも簡単に泣く。レクサプロを飲まなくてはいけない。

 


日曜日は終わりに向かってしっかりと夜になった。サザエさんも終わった頃だろうか。

 

夏が終わる。麻布十番祭も終わる。

俺の中のフジファブリック若者のすべてを歌いすぎて干からびかけている。


なお俺は夏とはかなり相性が悪く、紫外線アレルギーとかいうミュータントなので露出の多い夏場は外出を控えなければならない。これが結構厄介で、今年の夏は少し調子に乗ったので40度の発熱を3回ほどやってそのうち1度救急搬送された。近年稀に見る非常に嫌な夏だった。

 

早く終わってくれ夏、醜い夏をもう見せるんじゃない。

秋服を買い渋っているとさっそくネットで売り切れていて、なんだかもうそこまで秋がきているんだなぁと思って普通にムカついた。夏に対して。

夏のしんどい話

どうやら派手に靴擦れをしているようだ。

道玄坂をフラフラと下っていると、身に覚えのある、あの嫌な痛みがじんじんと強くなっていった。

踵の皮膚を薄く薄く削いだその凶器は、2日前にGUで2980円で購入したストラップつきのサンダルだった。

私は思い切りため息をつくことしかできない。


今年で29歳になった。


靴裏が真っ赤に塗られたルブタンを私は履いたことがない。

そして一生履くこともない。

年齢のみを重ねた私は、時給1200円程のパートで、14.5万稼いでは安居酒屋などで金を使い、セザンヌの化粧下地を大事に使い、もやしや豆腐を工夫して食しながら生きていた。


今年で29歳になってしまっていた。


同級生はみな結婚を済ませたようだ。

2~3歳になる子供がいて、UNIQLOの服をお洒落に着こなし平日の昼間から銀座のカフェで駄弁りまくってるらしい。

鼻に付くハッシュタグをズラズラと羅列させるので、インスタグラムを開くと私は蕁麻疹が出そうになる。


トボトボと歩いていると酔ったサラリーマンが「今帰りですか?」みたいな事を喋ってきた。

不愉快そうな顔をして手でシッシッとすると、急に態度を豹変させて暴言のようなものを吐いてきた。

ああ、足が痛い。

酒を飲んでこんなに痛かったら、酔いが覚めた時にはもっと痛いんだろうな。

左足をかばいながら歩く。


いつまで経っても学生の頃と変わらず、渋谷から抜け出せない私は、一生このままだと思う。

ルブタンも、暖かな家庭も、百貨店に並ぶ化粧品も、きっと手に入らない。

29年生きた証が、年齢しかない。

田舎の両親がまた、ご近所さんに私の愚痴を言っている。


道玄坂がただひたすらに長く続いているような感覚だった。

そのうち安い靴を履き続けた代償に、足がもげて転げ落ち、坂を下る頃には血まみれになって死ねたらいいのに。


ようやく、TSUTAYA前の交差点の手前に立ったら、喫煙所の側に割れたジーマの瓶が転がっていた。

ふと気付いたらさっきまで履いていたはずの2980円のGUのサンダルがなくなって、裸足になっていた。

振り返ってみたが、サンダルは見当たらなかった。

足の裏にガラスの破片でも刺さりそうな街を、よく裸足で歩いてきたものだ。


酔っ払って靴を落とすなんて、私の同級生の中でいるんだろうか。

なんだかおかしくなって、フラフラと横断歩道を渡ろうとしたら物凄い速さでタクシーが向かってきた。

えっ、と思う時にはタクシーが目の前で、ああ赤信号でも渡ったのか、29歳にもなって酔っ払って信号無視をする人間が同級生の中にいるんだろうかと考えていたら、タクシーが走り去っていて、もうその姿すら見えなくなっていた。

疲れているのか。なんとなく酔いが覚めたような気持ちでJRの改札まで来ると、持っていたはずの鞄も無かった。携帯もない、財布もない。

アホか。くそ。さっきまで飲んでいた居酒屋か。仕方ない、戻るかと思って道玄坂を引き返すと、今日も救急車が大音量で走っていき、30mほど先で止まった。

酔っ払いだろう。明日は我が身。

気をつけようと眺めていると、25歳くらいだろうか、フリーター風の女が倒れていて頭から血を流していた。

おお、怖い怖いと目を逸らす。

私ももう29歳だしせめて変な死に方はできないよなぁとぼんやり考える。

ルブタンもシャネルも優秀な夫と心優しい我が子も、今は何も手に入らないけど、こんな私でも、誰もが平等に死を与えられている。

今の人生には満足していない。死にたいとは毎日思うけど、今日も生きてるししばらくは生き続けるもんな。

パート辞めて正社員になるか、掛け持ちするかしないと。婚活もしっかりやろう。

なんだかしゃんとして、道玄坂を上った。 

 


その頃、救急隊の人が手際よく女の靴を脱がして、忘れないように救急車に乗せた。

2980円の今年流行りのあのサンダルだった。

 

エゴと命

生存者のエゴによって生かされる人間を見た。

人工呼吸器をつけ、鼻から栄養を送っているらしい。点滴を常に2本、手の甲は内出血で鉛のような色になっていた。

片手にはミトンをし、自由からかけ離れた生活を余儀なくされている。

目の前で横たわっているこの老婆は、87歳で、私の祖母にあたる。

 


母親が祖母の肩を叩き、「お母さん、起きようか」「喋ってみようよ」などと声をかける。

母親と私は祖母と同居しているにも関わらず、祖母に対して敬語を使わないことがなかった。祖母は品があり、したたかで、優しく厳しいとても立派な人だった。定年退職時には小学校の教頭先生を勤め上げた。

 


そんな祖母が、母親に赤ん坊のように声をかけられていて泣きそうになった。

祖母はもう無理しなくていいんだ。無理して生きなくていい、十分生きたんだ。そんなことを考えていると、私はどう祖母に声をかけるべきなのかを見失った。

 


脳出血で突然倒れた父方の祖母は意識があるのかないのかわからない、寝たきりの状態になって3ヶ月が経とうとしていた。

その時父は亡くなっていた。祖母が倒れているのを発見した母親は、気が動転して、東京に住む私に泣きながら電話をよこし、今すぐ戻って来てくれ、どうしたら良いのかわからないと言った。

すぐさま新幹線に乗り込みタクシーで病院に向かう。祖母が発見されて3時間は経っていた。

ぐしゃぐしゃに泣き噦る母親を見て、しっかりしてよと思わず呟くと、聞こえてしまったのか、もっと泣いた。

 

 

 

延命、という言葉の裏にネットリと張り付いたエゴがそこにはあった。

 


医者に「持って3日です」と説明を受けた母親は子供のようにしゃっくりをあげ大号泣した。医者は私を見て「お母さんのことよろしくね」と言い、当たり前のようにその場を去った。人が死ぬ時、必ず死にかけるんだ。当たり前のことなのだ。

延命しますか、という書類を渡されたのは山だと言われていた3日が経った後で、人工呼吸器をつけますか、栄養を送りますか、何やらそういう内容だったらしい。

私はその書類を見てない。母親が署名して提出したのだ。

 


それから祖母は先の見えない人生が動き出した。本人はどう思っているかわからないが、少なくとも私は悲観した。

 


以前、仕事で医者に延命についてインタビューをしたことがあった。匿名で何でも話すと言うその先生は、

「老人ははっきり言って未来が明るいわけではない、医療は年老いた者にではなく、若者の未来のために発揮されるべき。老人は医療費を10割負担すべきだと思う。特に寝たきりになった老人は未来すらない。回復の見込みがない、そういう老人たちは本当に生きたいのか。家族の悲しみを小さな命で全て受け止めて、不幸だとすら思う。」

そんなことを言っていた。

本当にそうだと思った。

 


人はいずれ死ぬ。

祖母に無理しなくていいよと言いたいが、母親が側にいて言えなかった。

母親は今日もバシバシと祖母の肩を叩き、大声で話しかける。

 


いつか母親が死ぬ時に私は同じことをしてあげられるのだろうか。

母の気持ちも痛いほどわかる。これから田舎でひとりぼっちで暮らすことになろうとしているのだ。

母親は嫁に出て、私よりも長く長く祖母と暮らした。父親を最愛の人として選んだ母親は、父の母である祖母に対する感謝も、底知れなかった。

そんな祖母が目の前で突然手のかかる人形のようになってしまったのだ。

いくらでも手をかけたい、母親がそう思うのは自然過ぎた。

 


私は祖母に死んで欲しいと願っているのだろうか。

これもエゴなんだろうか。

 


生存者のエゴをまとって、祖母は今日も苦しそうに生かされていた。

毎日、生きることを切望され、生かされていた。

 


幸せなのかどうかは全くわからなかった。

仰げば尊し

何度も会っていたのに、いままで男女の関係と呼べることはなかった。まるで、私の恋心を、故意に終わらせようとしているみたいで、少しだけ悲しかった。

何も言えず離れ離れになって、何年も会えなくなっても、「友達」という関係だから、それが自然だった。

私もこの未来を望んでいたのを、ずっと昔から見透かされていたのかもしれない。

 


好きという気持ちはふわふわと宙に浮いて、空に紛れて見えなくなった。その日の空は、呆れるほど水色で、すこし空気が乾燥していたが、私じゃない誰か(それも沢山)のお別れの涙をまとって、少しだけしっとりしていたような気がする。

ああ、仰いでも仰いでも、この恋心は尊くなかった。

 


あの頃の胸をぎゅうと縮むような苦しさだけが記憶に残り、その苦しみを懐かしむようになってしまった。

あれから10年が経って、空に吸い込まれるように消えた恋心が、フワッと胸に返されることなんて想像していなかった。

 


今でこそSNSの類は嫌いで、なかなか見る機会が無かったが、珍しくFacebookおよびメッセンジャーの通知が来たのでアプリを開いたら、高校生のころ仲が良かった先輩からのメッセージが届いていた。

あまりにもビックリして電車に乗っていたのに声が出た。

「おひさしぶりです。いきてますか。」

そんなメッセージを見て荒みきったOLの心にも温もる熱があったのかと思って驚いた。3度くらい驚いた。

 


舞い上がった私はベラベラと文章を連ね、会いたいと騒いだ。心は16歳だった。

先輩の卒業式で、虚ろな目で空を見上げた時の私じゃ無く、もっと遡り、初めて先輩と出会った前略プロフィール掲示板でのやりとりしていた時の私が10年の時を経て宿ってしまった。

 


「仕事で東京きてるから。そういやお前東京やなーって。」

はは。ありがとうFacebook、そして半年に一度は更新していた自分のマメさに感謝した。東京にいることは散々アピールしてきた。田舎の友人に自慢することを怠ることはできない。その性格の悪さが功を成してなのかこうやって運命の再会のチャンスを運んできた。


まんまと約束をこぎつけて、東京駅で待ち合わせる。こういう再会はオーセンティックなバーより、洗練された雑踏、お洒落なダイニングバーが良い。人混みの中で「こっちこっち」と片手をあげる懐かしい人に想いを馳せて、舞に舞い上がった。


実際、あげた彼の手には指輪がされていたことと、子供が2人いること、妻が高校時代の部活の後輩だったことを除けば、とても綺麗な思い出のまま、むしろ大人になって色気がむんとました先輩はとても魅力的で大変戸惑った。

あの頃楽しかったよな、と話す先輩のやり方は本当に昔のまんまで、私は一生女になれないのではないかと思った。

ただひたすらに楽しくて、泣きたくなった。

「また飲もうなー」と手を振った先輩の手にはスマホが握られていたのだが、待ち受け画面は幼い子供の写真だった。

 


帰りに一人で牛丼屋に寄った。

友達として一生付き合えるなら幸せかもしれないと思っていた10年前の自分へ、すこしツライ面もあるが、確かに幸せだ。先輩と会えたお陰で、牛丼がすごく美味く感じる。

私はまた明日から荒んだOLに戻ります。

店を出ると、その夜の空は曇っていた。星もなく、なんだか肌寒くて少し不気味だった。

 

仰いでも仰いでも、何も尊くなかった。

都合のいい女たち

終電を無くしたと言うと喜ぶ男と喜ばない男がいる。これは細心の注意が必要だ。空気を読むことに全神経を使う。今日泊まってけば?なんて言ってくるので、どうやら居座っていいらしい。ラッキーだ。家に帰るのがダルいくらいには酔っている。

 

化粧落とし忘れたと言うと、あるよと言って平然と小さなボトルを出してきた。

安っぽい紫色の小瓶をつまみ、見ず知らずの女に感謝する。誰だか知らねぇけど1000円浮きました。ありがとうございます。

 

飲み慣れたグラスに注がれたハイボールは氷が溶けきってぬるくなっていた。いつも出してくれるこのグラスは彼女との夫婦グラスの片割れらしい。会ったことねぇけどいつも使わせて貰ってます。ありがとうございます。

 


不味い酒をグッと飲み干してタバコを吸う。眠い。鞄から取り出した携帯用の歯ブラシを出しておもむろに歯を磨き出す。部屋着貸して、と言って出されたくたびれたTシャツが相変わらず着心地が良てため息が出た。

 


今日今から飲める?と連絡がきたので30分後合流できると返した私は非常に優秀な「都合のいい女」なのだろうか。都合の良さでは他の女に負けたくない。来いと言われれば行くし、帰れと言われれば帰る。飲み代はいつも割り勘で、帰れという顔をされた日には自腹でタクシーに乗り込む。高速道路使いますか?と聞かれたら、ええ、使ってくださいと答える。家が思ったより遠いのだ。それでも、何度も行く。この男には幾多の女が取り巻いてるが、そのレギュラーメンバーとして長く側に置いて欲しい。

都合良く酒の相手になりたいし時には適当に抱かれて突き放されたい。でも彼女にはなりたくない。自分の感情に振り回されてめんどくさいからだ。

会ったことない彼女や、私以外の都合のよい女たちに想いを馳せる。こいつのどこがいいんだろうねと呼びかけるが彼女たちからは何も返ってこない。だって別に何もないのだ。

 

歯を磨き終えるとやはり眠かったので、酔ったーとか言いながらベッドに潜り込んだ。

 

明日は仕事だ。酔った頭は判断力を鈍らせて時にとんでもないヘマをやってくれる。

あー終電で帰れば良かったかな。万が一男に手を出されたら寝たふりをしよう。まあ、人の温もりを感じて眠り、寝不足になるのは悪くない。

 


目を瞑って思う。

都合のいい女は、都合のいい男にしかまとわりつかない。いい話だ。会ったことねぇけど私以外に数人いる都合のいい女たち、お前ら皆んなのお陰ですごくおいしいよ。ありがとうございます。これからもよろしくな。

 

いつか他の男の家に泊まった時にコンビニで買いその家に忘れてきてしまった私の「お泊まりセット」がどこかの女の不幸せになりますように。

 

おやすみなさい。

まみちゃんへ1

まみちゃん、生きていますか。

ふとあなたのことを思い出したので書きました。

 

 

 

大学二年時にそこそこ大きな不祥事をしでかした私は三年で他大学に編入させられた。

学部こそ分野は一緒だったものの、必修授業がガバガバに抜けた状態だったので後輩(もはや先輩なのか)に混じって授業を受けていた。

その仲間がまみちゃんだった。

 


まみちゃんは実家暮らしのお嬢様でいつもブランドのバッグを持ち歩き、彼氏の話ばかりをしてきたので適当に笑って聞いてあげていた。

まみちゃんはすごく頭が悪く、次から次へと男に騙された。泣いて、ほかの男にすがり、それでまたその男に騙されていた。本当に頭が悪い女の子だった。

 


ある日、まみちゃんが遅刻して授業に現れた。私たちはいつも最後列の一番日差しが届かない席に座っていた。

「ちょっと見てくれん?」

三重弁で人懐っこく話すまみちゃんは本当に頭が悪そうで、そんなところが好きだった。

「どれ?」とまみちゃんの方を振り向くと

服の首元を摘み中を見るように指示してきた。えっ何。

「いいからちょっと見て、一大事やん」

仕方なく覗き込むとまみちゃんはブラジャーをずらした。

 


「えっ……まみちゃん、乳首………」

 


…………

……

 


「…………なんか長なってるやん」

 

 

 

まみちゃんは男に金を貸すためにオッパブで働き出したようだった。

毎晩おやじに乳首を強烈に吸われ噛まれをし、どんどん伸びていった。

「乳首立つ時も根元から立たん。こうなる」

そう言って両手の人差し指を曲げた。本当に滑稽だった。教授に騒がしいからそこの二人出て行けと言われたのでまみちゃんだけが出ていった。ノートよろしく、と肩を叩かれたのだ。

 


まみちゃんはその後も男のために乳首を売っていた。可哀想になったのと、金に困って無かったので、返ってこないつもりで10万貸した。もちろん返ってこなかった。

 


まみちゃんは世界を旅する中卒の男と付き合っていた。よくわからないネットビジネスで生計を立てきれない彼のために必死に働いた。挙げ句の果てには自分もそのネットビジネスにハマり、金が永遠と無駄に必要になるサイクルを全力で回していた。

いよいよ私もそのビジネスの勧誘がきたので今後その話を私にしたら縁を切ると言うとあっさりしてこなくなった。まみちゃんは友達がすごく少ないのだ。私を失ったら大学卒業すら危うい。

 


卒業して、まみちゃんとはすっかり疎遠になった。まみちゃんも卒業できた。お互いの協力があっての卒業だった。

 


私がアルコール依存症で手が震え、震えるというかどうにもこうにも手が“バイバイ”をしているように動いてしまうようになって、ルーズリーフが嘘発見器みたいな波を書いてしまうようになってからは、よく板書をコピーさせてくれた。ありがとう。

私が避妊に失敗した時、何故か大量に持っていたピルを譲ってくれたりと大変にお世話になった。ありがとう。

 


まみちゃん。生きてますか。

死んでても面白い。