未完成の文

わたしは確かに、会社の始業に間に合わないとか、気分の波が大きくなっていて“うつ病”の症状は十分にある。

自分では認めたくないし、こんな所で得体の知れない症状を理由に今さらたくさんのことを諦められるほど人生で妥協する術を学んでこなかった。

たくさんの人に無理をするなと言われて、実際救われている部分があるとしても、それは“諦めろ”という意味を含んでいるようで、未練がましいわたしは悔しくて仕方なかった。

意地でも会社行きたいと思ったし、休んでいても数字作りたいと思った。休みがちになりながらも与えられた最低限の数字を作って自尊心を保っていた。

 


その自尊心が折れる日が今日だった。

 

 

 

わたしは亡くなった雨宮まみさんの「東京を生きる」というエッセイを思い出す。

意地でも東京にしがみついてやる、そんな思いでやってきた。今より楽な仕事は少なからずあるだろう。でもわたしは妥協できないから、

 

 

 

書きかけ

2017.3.12